Osaka

大阪公演

令和5年度文化庁「大学における文化芸術推進事業」
中之島に鼬を放つⅡー大学博物館と共創するアート人材育成プログラム

ヤスキチ・ムラカミの世界展

〜オーストラリアに生きた写真家・実業家・発明家〜

明治時代オーストラリアにわたったムラカミは写真家、実業家、発明家として活躍し、
成功を遂げたにも関わらず、戦争が始まると同時に敵国民として収容され、収容所
で亡くなった。『ヤスキチ・ムラカミの世界展』は戦争が奪った友情、財産、パテント、そしてムラカミの生涯取り続けた写真の断片を集め、忘れられた愛と夢を蘇らせる。

会期:2023年12月12日(火)~2024年1月21日(日)
開館時間:10時30分~17時00分
※休館日:月曜・祝日及び12月29日(金)~1月3日(水)の間
※入場無料
会場:大阪大学中之島芸術センター4階展示室
大阪市北区中之島4丁目3−53 大阪大学中之島センター4F「アートスクエア」内
問合せ先TEL:06-6444-2139 (大阪大学中之島芸術センター)

総合企画: 永田靖
制作: イリーナ・カスティリャンチャンカ
事務局: 鬼頭茜

 

[OSAKA] 「ヤスキチ・ムラカミの世界展」ごあいさつ 〜 時代を先駆けた村上安吉によせて 〜

ごあいさつ 〜 時代を先駆けた村上安吉によせて 〜

 

本展示では2014年のオーストラリア初演の演劇 『Yasukichi Murakami – Through A Distant Lens』 の創作過程で収集された村上安吉(1880-1944)の写真や記録の一部を紹介しています。明治時代にオーストラリアに移住した写真家、実業家、そして発明家でもあった村上安吉の生涯を物語る資料から、故郷を離れた日系移民の立ち向かう勇気、立ち直る逞しさ、家族へのまなざし、そして昔も今も変わらない人間の探求心と情熱を感じとっていただければ幸いです。

村上安吉は、1897年に和歌山県から16歳の若さでオーストラリアへと渡り、西オーストラリアにて西岡商店に雇用されました。そこで安吉は英語、商法、海事法を習得し、雇用主の妻、西岡ヱキから写真技術を学びました。1901年に夫が急死すると、ヱキは西岡の事業を受け継ぎ、その業務を安吉とともに広げます。4年後、二人はブルームの登記所に婚姻届を出しました。この頃から安吉はブルームの日本人コミュニティのリーダーとして活躍しはじめます。二人の住むこの町は、当時真珠貝採集産業のメッカでした。

サイクロン被災で困難に陥った見ず知らずの真珠採集業者、キャプテン・A.C.グレゴリーに融資したことがきっかけとなり、安吉はグレゴリーのビジネスパートナーとなりました。グレゴリーとの繋がりにより、安吉は当時の階層化社会では一般の日本人には得られなかった特権を享受し、グレゴリーと真珠産業に従事する日本人とを繋ぐパイプ役を務めました。二人は真珠採集船や乗用車を購入し、酒場やタクシー業の経営、そしてブルーム初の養殖真珠の研究にも挑みました。

1920年に西オーストラリア生まれの日系人、しげの・テレサと再婚し、二人は9人の子供に恵まれます。大家族を養いながら、安吉は潜水服の改善に関する研究にも力を入れました。実験を繰り返し、1920年代後半には現代のスキューバ機器の先駆デザインの特許まで獲得しました。1935年、安吉は家族と共にダーウィンに移住し、グレゴリーの事業に参画しながら、ダーウィン初の写真スタジオを開業します。現地のスポーツチーム、警察、時には軍人のカメラマンとして活動しながら、日本人会のリーダーとしても活躍しました。

太平洋戦争が始まるとオーストラリアに住む日本人・日系人は敵性外国人として抑留されます。安吉も家族とタツラ収容所へ送られ、収容所内でもリーダーとして貢献しました。1943年には抑留されていたために潜水服の特許を更新出来ず、権利を失いました。同じ年に、後にスキューバの発明家と呼ばれるジャン・イヴ・クストーとエミール・ギャナンが安吉の発明と殆ど同じ仕組みの特許を取得します。翌年の冬、安吉は終戦を知ることなく、慢性心筋炎のため、その生涯を閉じました。

安吉が一生をかけて撮り続けた写真を収集しデジタル化することで、より多くの方の心に、先駆者、村上安吉の夢や希望を蘇らせることを願いながらこの展示をまとめました。

 

 

金森マユ
キュレーター
写真家

 

 

 

[OSAKA] 「ヤスキチ・ムラカミの世界展」へようこそ

ヤスキチ・ムラカミの世界へようこそ

この度は、「ヤスキチ・ムラカミの世界展〜オーストラリアに生きた写真家・実業家・発明家〜」にお越しくださいましてどうもありがとうございます。この展覧会は、オーストラリア在住の写真家金森マユさんが、10年以上に渡ってリサーチを続けているオーストラリア日系移民の写真家村上安吉(今回のイベントではすべて「ヤスキチ・ムラカミ」と表記)についての展覧会です。

金森さんのお仕事は、オーストラリアへの日系移民のみなさんの歴史や仕事を丹念に掘り起こすことを土台にしたものがその中心の一つとなっています。それは単に写真ばかりでなく、映像やパフォーマンスなど多岐にわたるのもその魅力となっています。

今回は、その中で村上安吉というオーストラリアで写真家として活躍した人物の仕事の焦点をあてています。村上安吉は オーストラリアに渡り、写真家として見出されて実績を残しますが、太平洋戦争の勃発によって民間収容され、終戦を待たずに所内で亡くなってしまいます。金森さんはこのオーストラリアに生きた日本人写真家の仕事を追い、その跡を克明にたどりながら、オーストラリアではあまり残存していなかった写真の多くをついに和歌山の実家で発見することになります。

今回の展覧会は、主として 村上安吉の撮影した写真で構成された展覧会になっています。そこには、村上安吉のカメラのレンズを通してみた日系移民の姿、当時のオーストラリアの姿の一端がしっかりと焼き付けられていますし、そして何よりも村上安吉の眼差しをそこに感じ取ることができるものです。これらの写真は、オリジナルをデジタル化したものですが、現代に溢れかえるデジタル写真とは一線を画しており、容易には反復され得ない、不思議にも強靱な力がみなぎっています。

今回は、この村上安吉という日系移民として生きた写真家の写真を中心にした展覧会をどうぞお楽しみください。そこには、自らをこの写真家と重ね合わせることで自らのアインデンティティを探究する写真家金森マユさんの姿も見てとれることと思います。

なお、金森マユさんは、この村上安吉についての劇『ヤスキチ・ムラカミ 遠いレンズを通して』を自ら書きおろし、今回それを上演もいたします。そちらの方もどうぞお愉しみくださいますようお願いいたします。

 

 

 

永田靖(大阪大学中之島芸術センタ−)